日本文化に見る‟中国風”-男性服編ー

長い中国の歴史の中で日本と深く関わっている唐王朝は、じつは北方の少数民族の王朝だったといわれています。ですから唐の文化も漢民族の伝統文化ではなく、漢民族の文化に北の遊牧民族の文化が融合し、さらにシルクロードを通じてインドやイスラム世界などからもたらされた文化が融合してできたものです。当時広く世界に発信していた唐の文化は、当然、漢民族の伝統的な文化であると思われがちですが、じつは少数民族と漢民族、それに他の世界の民族がコラボして作った文化なのです。

そうした前提を踏まえて、中国の伝統的な男性の服装について、唐王朝より前と唐王朝以後に分けて、少しご紹介したいと思います。

66abcbe7td5c24ec1f8b9&690

中国の伝統的な女性の服飾は、時代の変化や流行によって変わっていくものであったと思いますが、男性の服飾は、身分・階級と社会的地位によって装いの色が決まっていたところに大きな特徴があり、時には厳しい社会制度とも関わっていました。まず漢王朝の「冠服制度」について、皇帝の装いから見てみましょう。

211817pl2s6iwvaepjw666

漢王朝の服飾文化は秦王朝からの継承であって、秦王朝の服飾文化は戦国時代からの継承であると見られます。「冠服制度」は漢代になってから少しずつ形づくられてきましたが、後漢の明帝・永平二年までに正式な制度として整えられました。この制度は明代まで残っていたとみることができます。

秦王朝は「水」を崇拝したと言われ、秦代に代わって国を治めた漢王朝は「水」に勝つ「土」を崇拝し信仰していたと言われています。そして「五行思想」の中では「土」を象徴する色は黒色とされています。そうしたところから、漢王朝の皇帝の装いや国を象徴する色は、黒色と定められていました。

14300000937988128747098023446

漢の武帝像(前漢)

上の写真を見ればわかるように、漢の皇帝である武帝は、黒を基調に赤をあしらった服を着ています。隣の人が着ている服は白っぽい薄い色の服です。「冠服制度」の決め事として、階級と社会的地位によって服の色に規制があったのです。漢代では服の色が深ければその人の社会的地位が高く、浅ければその人の社会的地位が低かったとみることができます。しかしいくら厳しい制度であっても、王朝の交代とともに「冠服制度」も変わっていきます。漢王朝の後、いくつかの政権が立てられましたが長く続くことはなく、「五胡乱華」(304~439年、五胡十六国時代)という初めて北方の少数民族が華北を支配しその文化が中原地域に入った時代を経験して、漢民族の文化は彩り豊かになったとみることができます。

2015021103-0

唐の太祖像

唐王朝と漢王朝の皇帝の服を比べて見ると、その違いは一目瞭然です。唐代の皇帝は漢代の皇帝と違って、服の色は黒色ではなく明るい黄色になっています。唐代の初期には皇帝はまだ黒い服を着ていたとの説がありますが、時間の経過を経て「明るい黄色」に落ち着いたそうです。そしてこの「明るい黄色」は、唐代以降、皇帝の専用色になりました。

唐玄宗

さらに唐代の男性の装いをみると、公的な場面で着る服は漢代からの「冠服制度」を採用して中原地域の農耕文明の特徴を継承した服でしたが、その一方で、北の遊牧民族の特徴と外国文化を取り入れて普段着が作られ着用されていました。(上の唐の玄宗の写真)

また唐代は開放的な時代として知られています。それは「五胡乱華」を経験したことに加えて、もともと唐代の統治者自身が異民族だったからだと思います。この開放的な社会はアジア地域はもとより、シルクロードを通じて世界に大きな影響を及ぼしました。ここで取り上げたいのは、日本からの遣唐使です。

1402022259654

630年から895年までの約265年間、日本の奈良時代から平安時代にかけて、日本から中国文化を学ぶために19回の遣唐使が派遣されました。その間の文化交流の中で、日本男性の服文化は唐代の服文化から深い影響を受けています。

唐代男子日常服飾 唐代男性の普段着

平安時代の貴族服飾 平安時代の貴族の装い

上の二つの写真を見ると、服装の影響が良く分かります。ほぼ同じ時代の異なる国の男性の服装がこのように似ているのは、この時の日本と中国だけでしょう。

346d6b600c338744509fd4cb510fd9f9d62aa0fd

中国では唐代の後、宋・元・明・清という王朝の入れ替わりを経て、唐文化は新しい文化の刺激を受け、また新たな文化が取って代わり、今の中国で唐代の服文化に触れることはできません。しかし日本には、今なお奈良・平安時代の様式を受け継ぐ神社や伝統芸能などの中に、唐の時代の服文化を見出すことができます。自国の古代文化が異国の日本に今なお受け継がれていて、日本に行けばそれを見ることができることに、不思議な思いを抱く中国人も多いのではないでしょうか。